「名前ちゃん」

甘い声が耳を撫でる。振り向くと、声の持ち主は目を細めて微笑んだ。彼が私の頬へと手を伸ばす。まるで愛しいものを見るような目で私を見るものだから、いたたまれず咄嗟に目を反らしてしまった。この空気はいつまで経っても苦手のままで。何かが変わらなければ慣れることはないのだろう。と、どこか他人事のように考えていた。するりと頬に滑らせていた指が私の髪に触れる。髪の束を掬い、そこに口付けを一つ落とした。上目遣いに私を見上げる黄色い双方と視線が重なる。今度は反らせなかった。黄瀬、くん。掠れた私の声など気にする様子もなく彼は言う。

「涼太って呼んでって言ったの、忘れちゃったんスか?」

耳元に顔を近付けられ、より甘ったるい声に耳を刺激される。全身が震え、ほだされては駄目だと一歩後退るが、それより先に彼に引き寄せられる方が早かった。強引な動作とは裏腹に私を包む腕はひどく優しい。その事実に胸が苦しくなるのはいつものこと。

「ね、名前呼んで?」
「黄瀬く」
「違う。涼太、でしょ」
「りょう、た 」
「いい子っスね。よく出来ました」

鼻の奥がツンと して、泣いてしまわないように顔に力を入れる。黄瀬くんが名前を呼ばせたがる理由。それは簡単。私に名前を呼んで欲しいからだ。重要なのは私が彼の名を呼ぶことではなく、彼の名前を紡ぐ私の"声"なのである。それに私が傷付いてるなんて黄瀬くんは知らないし、また気付くこともないのだろう。

「名前ちゃん」
「……」
「俺名前ちゃんの声好きだよ」
「…うん」
「だからもっと名前呼んで」
「…うん」
「名前ちゃん」
「…………涼太」

黄瀬くんと居たって良いことなんか何も無いことぐらい私が一番よく分かってる。それでも突き放せないのは、ずっとずっと彼が好きだったからである。けれど、この先彼が私を好きになることはきっとない。だってどんなに頑張ったって私にあの子を越えることなんて出来ないもの。

「………」

私を通して他の誰かを想い続ける黄瀬くんに、今日もまた何も言えない。


瞳の奥に映るのはいつも
13'0427
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